日本の食の歴史

日本の食の歴史①(古代~中世)

ひだまり内科クリニック 院長 伊藤 公人

日本の食は米、魚、豆類、野菜などから成り立っています。今回は古代から中世にかけての料理文化の歴史的変遷を辿ってみようと思います。

神餞料理(しんせんりょうり)

古代の料理文化の実態は資料が少ない中、祭祀(さいし)や儀式の料理形式として「神餞料理」(神に捧げる料理)が記録として残っています。膾(なます)にした魚、生の野菜、茹で物(ゆでもの)、蒸し物(むしもの)、乾物(かんぶつ)などを切り分けて提供し、塩や酢、醤(ひしお)で好みの味付けをして食べるというもので、仏教や中国の影響を色濃く受けた内容ではありますが、生菜や魚の膾のような生物の提供、アワビ、カツオ、ワカメなどの海産物の重視などといった内容に現在の和食の原型的な料理の形がみてとれます。

稲作の発展と肉食の禁止

米は日本の食文化の根幹となっています。縄文時代に大陸から伝来した稲ですが、その後に多くの改良を得て水田稲作農業が発展しました。一方、肉食の忌避は東アジアの食文化の中では日本の特異性を示すものです。肉食忌避の成立には複雑な要因が合わさっていると考えられています。肉食忌避の観念の起源は、稲作に伴う禁忌、すなわち「肉食が稲の生育を阻害する」という原始的な信仰にあったとされています。他に675年に天武天皇が「肉食禁止令」を発布したことによる影響や仏教の殺生戒の影響などがあると考えられています。肉食による「ケガレ」の観念はその後人々の間で広く浸透していきました。

大響料理(たいきょうりょうり)

平安時代を代表する料理形式が、高級貴族にとっての最高級の宴会料理である「大響料理」です。さまざまな魚介類や鳥類などの生物(キジ、コイ、タイ、マス、ウニ、貝類などを塩や酢で締めたもの)や干物(アワビ、タコ、干した魚、楚割すわり:魚肉を細かく裂いて干したもの)、窪杯物(くぼつきもの クラゲやキジの内臓の塩辛など)が並べられました。中国の影響が色濃く反映されている形式の中で、食材を切って並べるという、後の日本料理文化の特色と共通する点も見て取ることができます。日本料理の「切る」という技術は、片刃の薄い刺身包丁で魚肉の細胞を破壊することなく切る(刺身ですね)ことで肉汁や旨味を完全に閉じ込めるというもので、日本料理の最大の特色の一つです。ただ調味料等を使い自分で味付けをしなければならない点は、以前の神餞料理と同じく調理技術が未発達であることが示されているといえます。


この時代の庶民の食事風景はほとんどわかっていませんが、下級役人の食事風景が描かれているものが残っており、それを見ると高く盛った飯と汁、その手前に料理と調味用と思われる3つの皿が描かれており、おそらく一汁三菜という日本料理の原型がここに示されていると考えられています。

精進料理(しょうじんりょうり)、本膳料理(ほんぜんりょうり)

鎌倉時代・室町時代には、中国から禅宗と共に精進料理と喫茶の文化が導入されて、それを基礎に日本の料理文化は大きく発展し、本膳料理懐石料理などの日本独自の料理文化が確立していきます。日本の料理文化に大きな変化をもたらしたのは、何といってもこの時代に中国から伝わってきた粉食と調味料を用いた、高度な調理技術が特徴である「精進料理」です。そして「本膳料理」は精進料理の高度な調理技術を取り込んだ武家の正式な宴会料理です。台座(テーブル)ではなく膳を並べるという日本的なスタイルであり、本膳料理によって中国からの影響と日本的独自性がミックスされた本格的な日本料理が誕生したといえます。

懐石料理(かいせきりょうり)

豪華な本膳料理が成立する一方で、16世紀末ごろにきわめて洗練された料理形式である「懐石料理」が出現します。侘茶(わびちゃ)の精神に基づいて生み出された形式で、豪華さを排し料理自体を味わうことを重視し、質素ではあるけど温かな一汁三菜が理想(飯と汁、それに香の物、向付、焼き物という構成が基本)とされます。懐石料理の特徴として、これまでの料理を一斉に並べて饗応する形式(並列式)ではなく、時系列式(ひとつの料理を食べ終わってから次の料理が供される)にもてなす画期的な配膳法が挙げられます。そして懐石料理の最も重要な点は、少ない皿数の中に季節感や旬を盛り込み、盛り付けの色彩やバランス、料理と器の調和など、洗練された感覚(=侘びの美意識)を料理に反映させるところにあります。特に「一期一会」のもてなしの精神が重視され、この懐石料理の出現によって日本独自の料理文化が完成したということができます。

参考文献:

  • 食の世界史-ヨーロッパとアジアの視点から 南直人 昭和堂 2021年初版
  • 日本からみた世界の食文化―食の多様性を受け入れる 鈴木志保子 第一出版 2021年初版