マジョリティ

マイノリティからマジョリティへ

岡崎高校3年生 カフーン 祿美

マイノリティ”という言葉をよく耳にします。

辞書的な意味で言ってしまえば単に“少数派”という意味です。

私がその言葉を強く意識してしまうのは私自身が英国と日本のハーフという日本社会においてマイノリティであるからでしょう。そんな私が、マイノリティについて考えるもう一つのきっかけとなったことがあります。それがまさにライソゾーム病です。


高校1年生の頃、神経痛などの症状からライソゾーム病の一つであったファブリ―病を疑われたことがありました。その時の私は、“ファブリ―病???”初めて聞く病名に、正しい病気への理解などできていたはずもなく、ただ難病という単語が目に入り、漠然とした不安や焦りを感じていました。


今、改めてあの時のことを振り返ってみるとライソゾーム病は、2つの意味で“マイノリティ”といえるのだと感じています。


一つ目の意味は、ライソゾーム病自体が希少疾患であるということ。二つ目の意味はその事実からくる認知度の低さからきているものです。日本に暮らす外国人、ハーフの人、左利きの人、AB型の人、ライソゾーム病を含む難病患者さんなどは良くも悪くもなくただ事実マイノリティなのです。


しかし、認知度の低さからくるマイノリティという現実は変えられるのです。私自身、外見から判断されることも多く、メリットもある一方で、マイノリティのため正しい認識がされていないからこそくる誤解もあります。ライソゾーム病についてもSakuraの会などの活動を通して広く認知されれば、支援の輪が大きくなるはずです。


現在高校3年生の私は、このような経験や様々なご縁もあって医学部で学ぶことに興味を持ち、受験勉強の真只中です。時に“この方程式は入試以外で使うのか?!”と愚痴をこぼしたり、時にくじけそうになったりすることもありますが、私の小さな力が誰かの力の一因となる日を信じて、努力を続けていきたいと思います。